あれこれぼやきたい。

30すぎてハロプロにハマった女の日常

20年抱えていた複雑な思いを親に伝えた日

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 親の手を握る赤ちゃんの手の写真

私にとっての「あの日」は”子育てに正解はない”を身をもって知った日のことです。私には子供がいますが、親の影響で子供を持つことを長い間迷ったり、私はあの人たちとは違っていい親でありたいそんな思いが強い人間でした。そんな私が”理想の親”の呪縛から解放された日の話です。

いわゆる毒親だった両親

この話しを書く上で欠かせない両親の存在について少し触れておきます。私の両親はいわゆる毒親というやつです。少なくとも私の記憶の中では。

自分の価値観が絶対、子供を褒めない、人の意見はすぐに否定するなど数えればキリがないほど偏りの強い人間でした。こんな人職場にいるだけでも嫌なのに、親だったらもうやってられないですね。私は悩みあっても、どうせあんたが悪いと言われるため黙って心に留めておくようになりました。気がつけば自分の意見や希望を話さない小学生時代を過ごしていました。両親の言うことを聞いていればいいのだと自分に言い聞かせていました。

スイミングに行けなかった学生時代

両親は私にとって重たい存在でした。私とそれ以外の兄弟と待遇が異なることが多く、子供ながらに不思議に感じていました。中でも私が傷ついて記憶に残っているのがスイミングに通わせてもらえなかったことです。

小さな頃、水泳が苦手だった私が両親にスイミングに行きたいと言ったことがありました。父親から水泳なんてすぐに泳げるようになる、学校では先生が見てくれるから必要ない!と言われてしまいました。学校の授業では具体的な泳ぎ方の指導はなく、水泳の授業中はプールの中を歩いているだけでした。幸い馬鹿にされることはなかったですが、頼れる人がいないしどうしたら泳げるのかもわからない。なんか惨めだったんですよね。私の他に泳げない子が何人かいたからそれがせめてもの救いでした。

そんな時、下の妹が水泳教室に通い始めました。なぜ、妹だけ?!一度だけ勇気を持って再度親にも水泳を習いたいと言ってみましたが、ダメでした。この時のショックは忘れらなかったです。

親と距離をおき続けた20代

習い事から大学受験まで、両親のお金の使い方は姉妹間で違いました。大学受験では他の姉妹は私大に進学した一方、私は理系の学部を受験するため、併願で私立を受験することすら許されませんでした。どうせ通わせないから受ける必要がないの一言。大学に入っても状況は変わりません。授業をさぼりまくってやる気のない姉には言われるがままお金を出す、せっかく入った大学を1週間でやめ、新しく都内の私大に進学し資格の予備校の費用まで丸々負担してもらう妹。一方で、私は一人暮らしの家賃、食費は奨学金とバイトで捻出する日々が続きました。小学生時代から大学までどうしてこんなに違うのか?と私は親を許せなくなっていました。家を出てからは親とは極力かかわらないようにして気持ちを落ち着けていました。

20代後半には気持ちももう大人。両親や姉妹と冷静に話すということを身につけ始めていた私は親という存在と距離を保って少しづつ向き合えるようになっていきました。

ついに聞けた!スイミングに通えなかった理由

大人になるにつれ、行動のヤバさを子供たちに指摘され続けた親は少しずつ一般的な価値観を理解するようになりました。親と普通に話せるようになってきた頃のある日、私はずっと心に引っかかっていたことを聞きました。なぜ私は小学校の時スイミングに通えなかったのか。

すると意外な答えが返ってきました。

「妹は集団生活ができなかったの。あなたは友達もいたし、その日あったことを楽しそうに話してくれた。」と。当時、妹は朝になると学校に行くのが嫌だと癇癪を起こし、教室にも入れなかったそうです。母は集団生活になじめない妹を不安に思い、困り果てていました。そんな時、同じく登校拒否をしていた他の子のお母さんから子供たちを一緒にスイミングに通わせないかと誘われたそうです。妹の状況が改善するなら、友達ができるならと思って通わせたとの話を聞きました。車が運転できない母に代わり、友達の両親が送り迎えをしてくれたとも言ってました。ここらへんの状況はすっかり抜け落ちていましたが、確かに妹は不登校でした。 


ちなみにスイミングの件は教員だった父が一方的に断ったみたいです。自分が体育の授業では泳げない子に指導をしているから、私だって体育の授業で十分教えてもらっているはずだと母に伝えたそうです。後日、母が小学校の水泳の授業を見学したら泳げることそうでない子の差が大きく、先生は具体的な指導などしていなかったことにショックを受けていました。私をスイミングに行かせなかったことを謝ってくれました。 

何をフェアに思うかは親と子供で違った

母にとって姉や妹は人にとっての”当たり前”ができないことを薄々気がついていたようです。人間的な生活をする上で、平均に近づくためにお金をかける、それが両親の価値観でした。私は平等にお金をかけることがフェアだと思う人間なので、自分以外にばかりお金を使っていると思って複雑な気持ちになっていたのです。

今でも親のお金の使い方はおかしいと思っています。お金をかけてもらえなかったという気持ちが残っており、思い出すたびイラッとします。でもこの時を境に何をフェアに思うかは親と子供で全く違う時があること、そしてそれが理解できずどちらも勝手に傷つくのだと知りました。

結果に文句を言っているだけで、選択したのは自分だったかもしれない

ここまで、親が自分と他の兄弟に対してお金の使い方が全然違ったと長々書きました。しかし、たまにこう思うのです。親は威圧的な存在だったのは確かです。しかし、もしかしたら私にも選択肢は色々与えられていたのではないか。自分で選べなかった、または選んだ結果を親のせいにしているだけなのかもしれない。そういう意味で両親は毒親だったのか分からなくなる時もあります。 

親子は仲がいいに越したことはありませんが、どうしてもうまく行かないことは多々あるのだと思います。子供にとっていい親になれなくても、それはよくあること、悪いことでもないのかもしれない。これがいい親であることの呪縛から解放された日の話です。

 

本日もご覧いただきありがとうございました。