あれこれぼやきたい。

30すぎてハロプロにハマった女の日常

須賀敦子のエッセイを世界に広めたい。

こんばんは!英語が自由に使えるなら須賀敦子さんのエッセイを英語にしたいです。私が好きな本にトリエステの坂道、地図のない道、ベネチアの宿、遠い朝の本たち、ミラノ霧の風景などがあります。これはイタリア文学の翻訳家として活動した須賀敦子という女性が描いたエッセイです。

須賀敦子ってどんな人?

日本のエッセイストでありイタリア文学者です。父は日本初の世界ー週旅行に参加したそうなのでかなりリッチなお家のお生まれだったと思われます。戦争の影響で芦屋と東京を行き来する子供時代を過ごし、本が大好きで幼少期から貪るように本を読み、後の人生に影響を与えることになります。フランス留学(いまいちだったらしい)、イタリア留学をしており、イタリアでは後の夫となるペッピーノと出会いその仲間とコルシア書店の運営に関わります。

彼女は、人生の輝き、挫折、息の詰まるような瞬間をみずみずしく繊細に文章の中に閉じ込めます。躍動感とは違うけれど、その時々の彼女の思いが20世紀後半のイタリアの風景と交差しながらテンポ良く語られているのです。彼女の感受性と言葉の流れは唯一無二です。

英語で書くには課題がたくさん!

さて、須賀敦子広めたい作戦には課題がたくさんあります。最大の壁は英語です。私はたまに、仕事で日本語を英語にするのですが、常に「表現がEnglishとして適切なのか」という点で悩みます。意味は伝われど、ニュアンスが変わってしまわないかと常にヒヤヒヤしています。あと、カッコよく書きたいという見栄っ張りが先行するんですよね。彼女の本を読んでいると、ジェノバの港で眩しい太陽の光を浴びるような情景を思い浮かべるし、時に自分のことのように、理解のないイタリア人に文句を言いたくなることもありました。この臨場感、英語でどう伝えたらいいのでしょう。

とりあえず、私が大好きなパートを取り出して自分で英訳してみました。ベネチアの宿に収録されている「大聖堂まで」の一部です。

東京で大学院にいたころ、ふたりの女ともだちと毎日のようにはなしあった。ひとりは経済学を、もうひとりは哲学を専攻していたが、私たちの話題は、勉強のことをのぞくとほとんどいつも同じで、女が女らしさや人格を犠牲にしないで学問を続けていくには、あるいは結婚だけを目標にしないで社会で生きていくには、いったいどうすればいいのかということに行きついた。私たちは三人ともカトリックで、家族の強い反対をおして大学に行き、大学院まで進んだので、誰に対してかはっきりわからない負い目を感じることがよくあった。ぐずぐず言ってないで早く嫁に行け、それが嫌なら修道院にはいればいい、と先輩に言われても、そんなんじゃないという気がした。自分で道をつくっていくのでなかったら、なんにもならない。そのころ読んだサン=テグジュペリの文章が私を揺り動かした。『自分がカテドラルを立てる人間にならなければ、意味がない。できあがったカテドラルの中に、ぬくぬくと自分の席を得ようとする人間になってはだめだ』。シャトルへの道で、私は自分のカテドラルのことを考え、そして東京にいる二人の友人はどうしているだろうと想った。須賀敦子 ベネチアの宿 大聖堂までより)

Trinka使ってみた

せっかくなのでTrinka使ってみましたよ。無料で使えるんですね。途中、右側にわかりやすく間違いを指摘してくれるのはありがたいです!例えば動詞を帰る場合も、候補を何個か出してくれたので、中から気に入ったものを選ぶことができ、本当にわかりやすいです。

やっぱり、文章に直すと本来の文章の感じが薄れてしまいますね。でも自分で最初に書いたのより格段にかっこよくなったしこれは仕事で使いたいです。

添削を重ねできたのがこちら。難しい~💦

When I was in graduate school in Tokyo, I talked with my two friends almost every day. One majored in economics and the other in philosophy, but our topic is almost always the same, how women continue their studies without sacrificing femininity or personality. Or, we wanted to find the way to live in society without aiming only at marriage. All three of us were Catholic and went to college with strong opposition from our family, so we often felt uncertain. Even if my senior told me that if you didn't like it, you go to the monastery, I felt that's not our desire at all. If we don't make our own way, nothing will change. The text of Saint-Exupery I read at that time rocked me. "It doesn't make sense if you don't become a person who builds a cathedral. Don't be a person who wants to get your seat in the resulting cathedral. " On the way to the shuttle, I thought about my cathedral, and wondered what my two friends in Tokyo were doing.

彼女のエッセイがきっかけで私は20代の時に4度イタリアへ足を運びました。初めての旅行で、ベネチアの水路で家々から聞こえる食器がぶつかり合う音、話し声、どこからともなく流れてきたトマトを見て、イタリアの暮らしぶりに興味を持ちました。帰国後、イタリアの生活に関して調べたのが彼女のエッセイとの出会いでした。波乱の時代に自分の意思を持ち、周りに揺さぶられない生き方を世界に示した女性がいたことを、自分のことじゃないのに自慢したくなるのです。本日もご覧いただきありがとうございました。