益子焼の話
こんばんは!本日は栃木県の器、益子焼について書きます。
益子焼
益子焼は栃木県芳賀郡益子町周辺で作られる陶器をさします。江戸時代後期に笠間焼(茨城県)の陶工がこの地に移り住み笠間焼の技術がもととなり発展したのが益子焼です。もともとは水瓶やツボなどの日用品をメインに作っていました。1924年ごろから民藝運動の主導者であった濱田庄司がこの地に住み花瓶、茶器などの日用品の創作を始めたことから全国にその名前が知れ渡るようになります。
民藝運動
民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。「民藝」は庶民の生活に根ざす工芸を指す造語です。この運動は、「用の美」というスローガンをもとに、これまで上流階級でのみ注目されがちだった芸術を庶民の生活の中に見出し始めた運動です。各地の手仕事が再注目されるきっかけになりました。
益子焼の他にも、瀬戸焼や丹波焼、小鹿田焼など全国各地の窯に影響を与えました。この運動に共鳴して作られた窯も多くあるそうです。
益子焼の特徴は?!
土っぽい見た目
土の質感が楽しめる、見た目がぽってとした温かみのある佇まいが特徴です。
もともと、益子焼に使われる土は粗めで黒みがかっています。黒みを緩和するため釉薬や化粧土の浸しがけの技術が発達したようです。
民藝運動の影響
用の美を謳った民藝運動に影響を受けているため、益子焼は全体的に落ち着いた見た目をしています。民藝運動の主導者が作品を作り続けたこともあり、民藝風のデザインの器も数多く作られています。
最後に
益子焼陶器市はゴールデンウィークと11月(今年は終わってしまいました💦)と年2回ほど行われています。この時期はいろんな地域で陶器市が開かれます。最近はオンライン陶器市もたくさん開催されているので、現地に足を運ばなくとも楽しめると思います。
本日もご覧いただきありがとうございました。